Gibraltar


 ジブラルタルにたどり着いたのは
 夜も9時をまわってからだった。
 隣接するスペイン側のラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンの街で
 迷路にはまり、たっぷり1時間はタイムロスをしていたからだ。
 海沿いだと信じ込んで走っていた道が、実は広大な空き地沿いで
 その向こうに陸地があるのを発見した途端、迷路は解けた。

 やっとのことでジブラルタルへの『入り口』を探し当てた私は
 そこから空き地の中へ突進し
 ついにイミグレーション・オフィスらしき建物の脇にたどり着いた。
 一人前に遮断機を備えた、それは立派な国境だった。

 イギリス領に入るドイツナンバーの車に東洋人の組み合わせ。
 しかも夜とあって
 職務質問のひとつぐらい受けるんじゃないかという予想を裏切って
 そこの係員は、パスポートの表紙をチラっと見ただけで
 遮断機をあげようとした。

 が、せっかくここまで来て、ハンコをもらわないテはない。
 ナントカのひとつ覚えみたいに「Could I have your stamp, sir ?」と切り出してみて驚いた。
 さすがは英領。相手は「Sure !」と言って
 めんどクサさなど微塵も見せず、パスポートをパラパラとめくると
 英連邦の国々のスタンプが集まっている見開きに
 傾かないようにしっかりと位置を決め、念入りに捺印してくれた。


 『GIB』という文字が山の形になり、Gの字の上から太陽が顔をのぞかせている横に
 『WELCOME TO』という文字が配されたそれは
 味もそっけもないスタンプが多い中、ひときわ異彩を放っている。
 リヒテンシュタインといいアンドラといい
 小国には観光客の気持ちをくすぐるツボを心得たところが多いが
 イミグレーションのスタンプにウェルカムと入っているのには驚かされた。

 遮断機をくぐると、そこはもう、スペインとはまったく別の国。
 通りはいきなり『WINSTON CHURCHILL Ave.』になるし
 道沿いには『VICTORIA STADIUM』があるといった具合。
 なぜか、妙に英語がなつかしい。
 ヴィクトリア・スタジアム前のロータリーを過ぎると、土地は急にうねりはじめる。
 少し先でウィンストン・チャーチル通りを外れ、街中へ車を乗り入れた私は
 その瞬間、はるか昔のイギリスにタイムスリップしたような錯覚にとらわれた。

 粉っぽいスペインの石造建築ではなく
 レンガや漆喰で固めた壁面に黒いオークの骨組みを露わにしたハーフティンバーの建物と
 その軒先に吊り下げられたパブの看板。フィッシュ&チップスを売る店。
 『MAIN STREET』という名の狭い路地に止められた
 例の、ボールドで角張った書体のナンバープレートを付けた右ハンドルのオースチン・ミニ。
 これらが渾然一体となって『英領』であることを、自然に、しかし強烈にアピールしている。

 途中から一方通行になり、さらに狭くなると同時に勾配も急になったメインストリートは
 ほどなく、ちょっとした広場に出、そこから先は逆方向の一方通行で進めなくなっていた。
 スペインとのあまりの景観の違いに我を忘れていた私は
 ここでやっと、泊まるところを探している途中だということを思い出した。

 あてずっぽうで、左に曲がってみる。
 メインストリートのような南北の道ではなく、東西方向の道に出ると
 背後の山によって今にも海に突き落とされそうな場所にへばりついたこの街の、地面の傾き具合がよくわかる。
 急勾配をグッと登り、その先の角を曲がると、場違いなほど近代的なホリ ディ・インが突っ立っていた。
 部屋は空いていた。が、ガラス越しに1階のラウンジのようすを見て、泊まるのは止めた。

 日本のホリディ・インとはわけが違う。やはり英領。
 どう見ても、そこは紳士・淑女の社交場なのだ。
 レセプションで聞いた1泊90ポンドという値段も、これを見れば、むしろ安すぎるのではないかと思える。
 ホテルの少なそうな街だから、少々高くても早く決めてしまいたい気持ち はあった。
 でも、それより、身分不相応なことをしたくない気持ちのほうが強かった。
 そこで私は『身分相応』なホテルを探すべくふたたびクルマに乗り
 次第に人通りの減ってきた夜の街を流すことにした。

 さっき、あてずっぽうで曲がった広場のところを、今度は右に曲がってみ る。
 下りながら右・左とカーブが連続する道を、地元のクルマはみな、相当なハイペ ースで駆け下りていく。
 あやうく前の車を追いかけそうになったとき、右手にホテルが見えた。
 キングズ・ストリートに面したブリストル・ホテル。何と英国的なひびきだろう。
 この名前だけで、もう十分だった。
 シティーで見かけそうな『身なりも言葉もイギリス人そのもの』といった感じのオヤジがいる受け付けでチェックインを済ませ
 広さのわりに天井が高く、仰向けに寝ると猫背になりそうなベッドが置かれた
 オヤジに負けぬ典型的イギリス仕様の部屋に荷物を運び込むと、時刻は10時をまわっていた。

 泊まるところが決まれば、次は腹ごしらえだ。
 行き先は?…パブに決まっている。
 本国にある本物のパブに入ったことはないが『簡単な食事ができる』と、何かの本で読んだことがあったからだ。
 ホテルから歩きだしてすぐ、パブは発見できた。
 入り口のところに立てかけられたメニューには
 確かに、何種類かの軽食が、英語でリストアップされていた。

 重たい木製のドアを開けて中に入ると…、狭い!
 一瞬、カウンターで飲んでいた常連客らしい5〜6人の視線がこちらに集中し
 すぐ、何事もなかったかのように元のおしゃべりに戻る。
 みんな、イングランドとマン島以外では聞いたことのない、ちゃんとした英語だ。
 『そうか、ブリテン島からは遠く離れているけど、やっぱりここはイギリスなんだ』
 ……と再認識しつつ、カウンターの奥の空いている席についた。

 カウンターの中には、ところ狭しと酒やグラス、つまみや菓子、置物やタバコなんかが並べられている。
 本物のパブって、きっとこんなふうなのだろうと思わせる装いだ。
 通路を挟んで配置されたテーブル席が片付けられていたから、軽食の時間が終了したことはわかった。
 では何を? と、カウンターの中を覗き込みながら考えていたとき
 中にいたオバちゃんが「ナントカカントカ、sir?」と聞いてきた。
 「〜 sir」も、こういうシチュエーションだったら気持ちがいい。

 気分を良くした私は、とりあえず「Half bitter, please.」と注文した。
 そいつをチビチビやりながら、なおもカウンター奥の棚を観察すると
 まるで標本のような瓶に入ったタマネギの酢漬けらしきものがあった。
 ちょっと迷った後、それも注文した。
 らっきょうの酢づけほどクサくはなかったが、からっぽの胃にはけっこうこたえる酸味!
 空腹感を増幅してくれる。

 結局、その酢漬けタマネギを5〜6個平らげ、次はクラッカー、その次はポテトチップス。
 これが夕食代わりだった。クラッカーもポテトチップスも、日本のものより断然塩辛い。
 日本人は塩分の摂りすぎだと言われるが
 メインディッシュはともかく、つまみの類やスープなどは、ヨーロッパのほうがよほど塩辛い。
 ま、こんなものを腹いっぱい食べるヤツはいないから問題じゃないか…。
 そうこうしているうちに、閉店の時間になった。

 「Good-bye, enjoy your holiday.」の言葉に送られて外に出た私は
 急に、この街の背後にある山に登りたくなった。
 夜景を見る、などという確かな目的はないのだが
 この時間帯になるといつも、行った先々で、昼間だけじゃなく、夜のようすも見ておきたい気分になる。

 『観光』旅行だったら明るいうちだけでいいが
 『観陰』もしてみてはじめて旅したことになるんじゃないかと、常々私は思っている。
 そして、ときにはそれが『観淫』だったとしても
 自己の責任の範囲でするのなら、悪いことだとは思わないし、むしろ奨励したい気持ちさえある。
 要は、どれだけ自分をいろんなめに合わせることができるか
 そして、それをどこまで楽しめるかが、旅の極意じゃないかという気がする。

 街外れから山頂近くまで、ロープウェイがあるらしい。
 でも、こんな時間に動いているはずはないので、クルマで登ることにした。
 走り出してすぐ、壁にブチ当った。接触したのではなく、行く手をはばまれたのだ。
 仕方なく向きを変えて走り出すと、そこにも壁。
 街全体が、まるで、じゃなくて、本物の要塞だった。

 何度か壁や階段に邪魔されながらも、何とかそれをくぐり抜けて街の外へ出た。
 交差点という交差点がすべてY字路。それも、かなり尖った形のものだった。
 それらをいくつか山寄りに折れると、急に道は狭くなり
 何度か鋭角的に切り返しながら山腹をよじ登りはじめた。

 そしてたどり着いたのは展望台。
 と言っても、崖っぷちにせり出した、タタミ2枚ぐらいの空き地だが、眺めは最高。
 海に張り出したジブラルタル港や沖合いに停泊するタンカー、はるか遠くのアルヘシラスの街などが
 静まりかえったアルヘシラス湾の水面にあかりを落としている。
 南のほうのはるか遠くでまたたく光があったが
 それがアフリカ大陸のどこかからやってくるものなのかどうか
 残念ながら、確かめるすべはなかった。

 背後を、5分に1台ぐらいの間隔で車が通る。
 道端に停めた私のクルマを避けるために徐行しているから
 どんなヤツが乗っているか、一目でわかってしまう。
 全車、若い男女の組み合わせ。
 街中の感じでは、およそ若者などいそうになかったので、これは意外だったが
 どうやらここは彼らの格好のデートスポットであるらしい。
 野暮はほどほどにして、正体不明の東洋人は山を下りた。



 朝、電話のベルで叩き起こされた。
 早口の英語で、ほとんど聴き取れなかったが、用件はわかった。
 いや、わかったというよりは、頭の片隅にあった心配が一気に呼び覚まされたと言ったほうが正確だ。
 大急ぎで着替えを済ませて通りに出ると、やはり! 駐禁の取り締まりだった。
 レッカー車が到着し、フォード・スコルピオの後輪には牽引用の台車が噛まされている。
 前輪には、スノーチェーンと同じ要領で取り付ける三角形のハデな駐禁プレートがクランプされていたから
 かなり前に見まわりを行い、一向に出頭しないので牽引に来たのだろう。

 あやまったり文句を言ったところでどうなるものでもない。
 とにかく、こんな場合は「私はどうすればいいんですか?」と丁重におうかがいをたて
 相手の出かたを待つしかない。
 と、すぐに、ふたりの係員のうちひとりが
 牽引の準備を止めるように、もうひとりに指示し、何やら書類を作りはじめた。


 ハガキよりひとまわり小さいその書類には
 4時30分にクランプし、9時48分に持ち主からの申し出があったこと
 そして、罰金の額が250ポンドであることが記載されていた。
 250ポンド?!…日本円に換算してみて、思わず叫びそうになった。
 「本当に 250ポンドなのか? ディスカウントできないのか?」
 と、一応聞いてはみたが
 今、ここで 250ポンド払わなければ車を移動し
 後でオフィスまで来てもらわなければならないと言う。

 財布の中を覗いたが、ポンドなど
 きのうのパブでおつりにもらった小銭以外にあるわけがない。
 「ペセタで払っていいか?」と聞くと、これはOKだった。
 250 ポンドだから50,000ペセタだと言う。妥当な線ではある。
 スペインにはしばらくいるつもりだったから、何とか現金で払うことはできた。
 それにしても、ちょっとした好奇心から寄り道した先で
 朝っぱらから6万円の出費は痛い。
 フランクフルトやミュンヘンでワイパーに挟まれた違反切符を
 シカトし続けたツケが、一気にまわったきたようだ。
 それと、前夜の飲酒運転のぶんも…。

 ホテルに戻ると、電話をしてくれたオバちゃんが「どうだったの?」って感じで聞いてくる。
 もし、あの電話がなかったら、今ごろクルマは移動され、50,000ペセタどころの出費では済まなかったに違いないから
 このオバちゃんにはどんなに感謝してもしすぎではない。

 「Thank you very much. You saved me a lot of penalty.」とお礼を言うと
 オバちゃんは得意満面。横にいる主人やチェックアウトしようとしていたお客をも含めたみんなに向かって
 「レッカー移動されそうになっている車を見たらドイツナンバーで
 これはウチの客に違いないと思って宿帳をチェックして
 この人じゃないかと思って電話したのよ…」と、事の顛末を話しだした。
 それを聞いていた老紳士が、別れぎわに「朝からラッキーだぞ、ボーイ。よい旅行を…」と
 見ず知らずの私に声をかけてくれたとき、6万円の痛みはどこかに消え飛んで行った。

 駐車違反騒動にケリがついて、やっと朝食。オバちゃんの案内で
 やや離れた駐車場にクルマを入れ、メインストリートのレストランに入った。
 10時を過ぎているというのに、まだまだ朝食中の人で賑わっている。
 『モーニングサービス』という名前だったかどうかは忘れてしまったが
 とにかく朝定食らしきものがあったので、それを注文。
 タマゴの調理方法、ハムかベーコンか、コーヒーか紅茶かなどを選ぶことができる。
 私はもちろんベーコンに紅茶。最もイギリス的な組み合わせを選んだ。

 『どんな紅茶かな…』という、英領ならではの期待はしかし
 大きな盆に載せて運ばれてきた定食を見た瞬間に打ち破られた。
 出てきたのはブルックボンドのティーバッグをポットに入れたものだった。
 以後も含めて、私はまだ一度も、大陸ではティーバッグ以外の紅茶を飲んだことがない。

 朝食を食べながら、その日の予定を立てた。
 決まっていたのは、人を迎えに、午後10時にセヴィーリャに行かなければならないことと
 それまでにヘレス周辺で宿を探さなければならないことだけだった。

 ジブラルタル〜ヘレス間は約 150km。スペインの田舎の国道では、普通に走って約2時間の距離。
 次の日から仕事でレースの取材をするヘレスのサーキットの下見に4時間
 宿探しに2時間、セヴィーリャへの移動に2時間かけたとしても
 ここを正午に出ればいいという計算になる。
 そこで私は、残った1時間で、今日こそアフリカを見るために
 ジブラルタル海峡に面する半島最南端の岬まで行くことにした。

 途中で買った地図や標識には、岬は『EUROPA POINT』で、そこに行く道は『EUROPA ROAD』と書かれている。
 ヴィーンを『VIENNA』エスパーニャを『SPAIN』で押し通すイギリス人が
 なぜ『EUROPE』じゃなくて『EUROPA』とスペイン語で表記するのだろう?
 つまらないことかもしれないが、ちょっと気になった。

 街を出て5分も走ると、もう、そこは半島の先端だった。
 左手に迫っていた山が後退し、あたり一面に草原が広がっている。
 道は、草原を避けるように大きく左に曲がり
 東側の海岸に達したところでロータリー突き当っていた。
 ここで東海岸沿いの道と合流し、最南端の岬に向かうのである。

 岬のすぐ手前に草地の駐車場があった。
 そこに乗り入れた私は、エンジンを止めるとすぐ
 スーツケースの中から辞書を取り出した。
 もちろん“EUROPA”を調べるためである。
 辞書をめくると…、あった!
 『EUROPE:ヨーロッパ、欧州』の上に
 『EUROPA:ギリシャ神話・エウロペー(ゼウスに愛されたフェニキアの王女)』と…。

 そうか、フェニキアの王女か…。紀元前の地中海を支配していた海の民。
 後のカルタゴのルーツとなるフェニキアの王女なら
 ここにその名を冠する岬があっても、何ら不思議ではない。
 岬から駐車場をはさんだ反対側に『SHRINE OF OUR LADY OF EUROPA』なる聖堂があるのも
 この地とエウロペーの関係を暗示するような、何やら怪しげな感じがしたが
 浅学な私の理解や想像の及ぶ範囲ではなかった。

 そして今、ジブラルタルは、1713年のユトレヒトの和約でスペインから割譲されて以来のイギリス領。
 エウロペー岬に立って背後の山を仰げば
 むき出しの岩肌のそこかしこに、イギリス軍のものと思われるトーチカや砲台の跡がうらぶれた姿をさらしている。
 アフリカは、この日も見えなかった。
 だが、エウロペーの岬に立っただけでもう、ここに来た価値は十分あるように思えた。
 周囲を海に囲まれた海岸段丘の先端らしく強い風に
 ひとりぽつんと立てられたユニオンジャックがはためいていた。



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